2008年9月8日月曜日

裸婦クロッキー・3・・・割り箸ペンと彩色


                                  図20

裸婦クロッキーの3日目。
割り箸ペンで、クロッキーをしてから、それに絵の具で彩色をほどこす。私は、透明水彩絵の具をつかったが、講師の先生は、不透明水彩(ガッシュ)を使われていた。参加者の中には、数色のコンテで彩色している方もいた。モデルの雰囲気やイメージを大切にし、そのものの固有色にとらわれずに彩色した方がよいとの話であった。
前回も書いたように、私の場合は、彩色する段階で色に関心が向いてしまい、クロッキーの線を生かすことを忘れてしまった時があった。後半は、講師の先生の指摘を受けて、もう一度、線を大切に見直すようにしてみた。線と色とのバランスを量り、色彩が線の力を一層際立たせるように心がけてみたが、自分なりにできたかなというものは、上の2点だ。
クロッキーの特訓を兼ねて3日間の講座を体験したわけだが、3日目が一番良く見られるようになり、手もそれに応じて動くようになったように思う。「クロッキーの力は、音楽家の練習と同じように、毎日の積み重ねに裏付けられている」という言葉を忘れずに、これからも励んでいきたいと感じた。

裸婦クロッキーの作品は、いずれもF8サイズのもの。



2008年9月6日土曜日

裸婦クロッキー・2・・・割り箸ペン


                                図19

「クロッキー講座」の2日目。鉛筆に代わって、「割り箸ペン」を使ってのクロッキーをする。

割り箸ペンは、身近なところで手に入るものでよく、インクの吸い込みと持ちの良いものが使いやすいという話を聞く。竹素材などの高級なものより、蕎麦屋やコンビニ弁当についてくるようなものを、良く削って、先を細長くして使う。持ち方は、鉛筆持ちではなく、ペインティングナイフのように上から被せたような持ち方をして描く。

はじめのうちは、なかなか思うように手が動かなくて、微妙な線が引けなかった。ペン先に付けるインクの量の加減もなれないうちは、うまくコントロールできず、「溜まり」を作ってしまったり、極端に線が太くなったりした。午前中1時間あまり、この割り箸ペンに慣れるのを目標に描きつづけ、それから、絵の具で彩色した。時間は、10分間で1ポーズずつ、クロッキーを繰り返した。5分程でクロッキーをして残りの時間で彩色していくペースだ。

彩色については、クロッキーの線に当てはめていくような塗り方ではなく、線をはみ出しても良いという指示だった。色使いも固有色にとらわれることなく、モデルの雰囲気やイメージを表現していくようにということだった。私の場合、普段から、水彩絵の具でスケッチや風景画を描いていたので、色を付けることは楽しい作業だったが、これが以外にも落とし穴になった。

それは、色の表現の方が、線の表現よりもインパクトがあるために、色にこだわりすぎると「クロッキー本来の線の魅力」が削がれてしまうということだ。描いていくうちに、どうしても色の方に目が向いてしまい、気がつかないうちに塗りすぎてしまう、そういう落とし穴があった。

2日目は、まだ、それには気づかずに、10分のなかで、どうやって割り箸ペンを扱い、彩色まで仕上げるかに汲々としていた。

2008年9月5日金曜日

裸婦クロッキー・・・「とにかく線が命!」

                              図18


上野の森アートスクールの「クロッキー特別講座」に今回、はじめて参加した。講師は、画家の古山浩一さんで、3日間の講座で、計150枚のクロッキーを描くという特訓講座だ。

一日目は、鉛筆(私はコンテ鉛筆を使用)で、5分間クロッキーを午前午後の4時間、最終では、2分間のクロッキーも入り、50枚ほど描くことになった。もちろん、休憩を挟んでのことだが、集中して線を引くことを繰り返していく中で、画材の使い方、鉛筆の持ち方や力の入れ方、線の引き方などを習得していく内容だった。
古山先生は、「形を捕らえることよりも、生きた線を引くことが大事!」と、繰り返し強調されていた。どうしても、バランスや形の大小など気になってしまうところだが、先生のお話では、「形やバランスは、数多く描いていくうちに、後からついてくる」と言うことのようだ。20名弱の参加者が集まっていたが、皆、黙々と手を動かしていく。気がつくと、あっというまに5分経っていることが多く、手足や体の細部は、殆ど描けない状態だ。

「引いた線が一様にならないようにすること、その為に、体の各部の筋肉や骨にそって、線の違いを見ていくことが大事だ」という指摘を何度も受けた。また、体の前面と背面とでは、引く線に違いが出てくるように、ピシッと「決める線」とさらりと「受ける線」の違いを意識しながら描いていくということも繰り返し話をされていたように思う。

私の描いたものは、まだ、講師の先生に指摘されたような線は描けていないが、繰り返し手を動かしたうちで、自分なりに気に入った線が引けたかなと思う。

クロッキーは、とにかく、線が命!」・・・講師の先生の言葉を反復しながら、刺激的な時間が過ごせた一日だったように思う。

2008年6月12日木曜日

風間完の絵について

                     企画展パンフレットより(図17)

風間完の名前を初めて知ったのは、確か、安野光雅の『絵のまよい道』(朝日新聞社 1998年)を読んでいたときだ。安野が「作風が大好きだ」という、この画家のことが知りたくて、いろいろ探してみたのが今から5、6年前のこと。
挿絵画家として活躍していた画家の風景画に興味をもって著作や画文集など集めた。美人画もとても魅力的だが、なぜか風間完の描く「町並み」や「港や川のある風景」に魅かれてしまう。鳥の視点に立って俯瞰するような、広がりのある風景画を眺めていると、なにか自分までもその一部になったように感じてしまう。
その風間完の挿絵原画展が、信州の上田でやっているというので6月8日の日曜日に出かけてみた。風景をモチーフにしたのは数点しかなかったが、それでも原画でみる筆致は実に美しく、その絵にどんな技法が込められているのかと引き込まれるような迫力があった。髪の毛の間から地肌が白く透けて見えるようなその輝き、背景の山や林を鉛筆やコンテのぼかしで表現している奥行きのある画面、はっとするような切れ味の良いコンテの漆黒の線、など、原画でなくては味わえないようなものを目の当たりにできた。
この企画をした「池波正太郎真田太平記館」も近くにあるので、そこにも立ち寄ってみた。風間完が挿絵を描いていた関係で、親交のあった二人のようだが、ここでは挿絵原画が蔵作りのギャラリーに常設展示されている。
風間完の『エンピツ画のかすすめ』の「才能について」という一説に、次のようなところがある。
「(どんな人にも)・・・他人に無い自分だけの眼、他人には見えないが自分だけには見える、というものを何かしら持っているものなのです。絵の才能とは、つまりそれのことだと私は思うのです。・・・大切なことは、それを画面に少しずつでも定着させていくときこそ、その才能は発揮されたということができます。絵を描く人は無口でよいのです。作品をつくることが一つの表現、つまり言葉なのですから。・・・喋るより、どれだけ描けたかということしかありません。そしてたとえほんの僅かしか仕事が進まないにしても、その量で差別されることは、この世界にはないのです。」
長くなってしまったが、「絵の素材、モティーフのすべてのものに先ず友情(愛情)をもって」わたしも、「こつこつと自分の道を歩いて」いきたいものだと、思います。  
 
  風間完さし絵原画展  平成20年5月29日~6月29日 
  長野県上田市・旧石井鶴三美術館  午前10時~午後4時(水曜日休館)
  主催・問い合わせ先/ 池波正太郎真田太平記館tel 0268-28-7100

2008年5月25日日曜日

風合いのある紙肌を生かす・・キャンバスペーパー

                    図15

ミューズから「ニュー・キャンバスペーパー」というブロックタイプのスケッチブックが出ています。私が使っているのはF4サイズの大きさで、四方を糊着けしてあるので「水張り」することもなく気持ちよく使えます。紙の表面はエンボス加工してあり、キャンバス地のような肌触りになっています。アクリルやコンテ、パステルなどの用途に向いているようですが、私の場合これを水彩画に利用しています。

ダーマトグラフで描いた線にも変化があり、表面の紙肌の模様が絵の具と微妙に溶け合って、風合いのある仕上がりになるように感じています。「重ね塗り」や「滲み」「ドライブラシ」などの技法にも合ってるが、やはり「風合いのある紙肌を生かせる」というのが一番良いところではないかと思います。

毛の短い動物の肌や骨格、筋肉の動きなど表現するのに適しており、最近よく試みている画材の一つです。



            ラッテンベルグの町並み(2007.8) 図16

2008年5月24日土曜日

ガッシュを使う・・・水筆で色を抜く

                           図13

久しぶりにガッシュを使ってみた。ケント紙の極厚口(中性紙・180k・B5)というのがホルベインから出ている。これにダーマトグラフ(黒)で薄く下書きし、その上からガッシュの茶系の絵の具をたっぷりの水で溶いたものを塗り、それが乾かないうちに濃い目の茶色系を滲ませていく。使った絵の具は、ローアンバー、バーントシェンナ、ウルトラマリンディープの3色(holbein artists' gouache)だけ。


滲ませた絵の具がほとんど乾いてから、水をふくませた筆で色を抜き取っていく。胴体の部分は体のふくらみにそって筆を動かし、白くぬいたところが骨格や筋肉の動きを表すようにしてみた。脚の脛やひずめの部分なども絵の具を抜いて、毛並みの明るさや爪の硬さなど表現できるよう思う。


他の水彩紙(アルシュ、キャンバスペーパー、キャンソンファインフェースなど)でも同様に試してみたが、「色を抜く」という点では、紙肌の滑らかなケント紙が一番相性が良いようだ。あまり紙厚の薄いものでは、絵の具を擦り取る作業には不向きで、表面が毛羽立ってきてしまう。この点、ケント紙(極厚口)は、それに向いているようで、紙の繊維に染み付いた色を抜き取るのもやりやすい。



                              図14

2008年4月18日金曜日

好きな絵を模写する


    クロワ=ド=ヴィ(ポール・シニャック)1929年 水彩 鉛筆 図9


               クロワ=ド=ヴィ(模写)  ペン 水彩 図10


  イル=オー=モワンヌ(ポール・シニャック)1929年 水彩 鉛筆 図11



             イル=オー=モワンヌ(模写) ペン 水彩 図12
好きな画家の絵を模写して、その手法を探求し何らかの成果を手にすることができたら、こんなに楽しくて有意義なことはない。模写するのなら、形から色彩の細部まで徹底して本物に近づく努力をするほど、その成果も大きいといわれる。
ポール・シニャックは、1863年に生まれ、1935年72才で亡くなっている。スーラと共に「点描画法」の油彩画家として知られているが、彼の水彩画は油彩の作品ほど広く理解されていないのではないかと思う。私が、シニャックの水彩画を初めて見たのは、交友のあったゴッホの素描展の図録『ゴッホとその時代 ゴッホ素描展2000年』で、「芸術橋の風景」(1928年)という絵をみつけたのが最初だった。
それ以来、何かとても気になる画家の一人だったが、今から6年前の2002年、山梨県立美術館でシニャックの水彩画展『海に吹く東風 水彩に見る新印象派』を見る機会があった。ほとんどの作品が7~80年前の作品で゛、中には100年もたっているものもあったが、その色彩と線描の強烈な印象が今でも忘れられない。
その年の夏にかけて、シニャックの模写を20枚ほどしながら、「重ね塗りを拒絶し並列したタッチで描く」「滑らかな肌合いの紙を使用し余白を残すことで紙の白さを見せる」「色価はパレットから紙面へと直接的に移されるべきもの」という彼の画法を探求することに挑戦してみた。図9~図12までが、その一部であるが、彼の水彩画法の詳細は、まだ、分からないというのが正直なところだ。
シニャックは、彼の水彩画の仕事を通じて、三人の画家を賞賛している。(ターナー、ヨンキント、セザンヌ) そのうちの一人、セザンヌの影響を受けていると思われる3つの作品『静物』に表現されている色彩や線描の美しさは、セザンヌとはまた違う彼独自の魅力を今に伝えているように思う。



2008年3月20日木曜日

葦ペンのこと

                  南の島 八重山      図7

             ブルージュの町並み              図8   

葦ペンを使う時は、鉛筆であたりを取ったり下描きをした線を上からなぞるような事はしないで、インク(私は耐水性のインクを使用)をつけて、そのまま直に描くようにしている。下書きの線にとらわれてしまうと、折角のペン描きの勢いが削がれてしまうように思う。遠景の部分から描き始めて、画面の左から右へ展開しながら進めていく。インクが乾いていない上から手を置いたりすると汚れるので、別の紙を上からあてがって描くという注意も必要だ。


葦ペンは、力の加減がダイレクトに紙面に伝わり、万年筆やサインペンのように同じ太さの線を描くのは容易ではない。微妙な力の入れ具合が線の太さに敏感に表れていく。力の入れ具合を間違うと、インク溜まりが出来て、その部分だけ目立ってしまう。また、仕上がったと思った紙のうえにインクが落ちたりして滲みになってしまうこともある。扱いが難しい分だけコントロールが必要だが、紙の上に引かれた線には特別な味わいがあり、それが葦ペンの魅力でもある。


私の場合は、太さの違う葦ペンを2~3本用意しておいて、遠景から中景にかけては、極細のペン先のものを使い、細くて軽い線で描き表わし、近景にかけては太目のペン先のものに持ち替えて、太く重い線で描くように心がけている。線の強弱、淡濃で遠近を表現したいと思うからだ。
葦ペンで描くのに相性の良い紙は、表面の滑らかなものが良いと思う。ペン先が紙面に引っ掛からないものが描きやすいので、私の場合はもっぱらケント紙を使っている。細目の水彩紙でも良いだろう。
葦ペンだけでなく、ほかのペンを使う場合でも同じことが言えると思うが、線描はできるだけ控えめにして、必要なところに入れるようにしたい。空や海、木々の枝葉などの細部は、筆による彩色に任せることが肝心だと思う。ただ、言うは安しで、得てして描きすぎてしまうことが多いように思う。私の場合も、全くその通りで、頭では分かっていてもいざ描き始めると、細かいところを描きすぎて、気がついたら色をつけなくても良さそうなときが沢山ある。
理想的なことだが、筆だけで描きあらわして、必要なところに後から少しペンで線を入れる程度に仕上げられたら、水彩の色合いとペンの線が気持ちよく響きあって一体感を表現できるように思う。残念ながら、それは今のところ「絵に描いた餅」というところだ。精進、精進。
葦ペンは、出来上がったものをインターネットでも買い求めることが出来るが、私の場合は、素材の葦を手に入れて手作りで製作している。その方が、自分の好みに応じた葦ペンが使えると思うからだ。葦ペンというのは、何か旧式な画材で不便だったり使い勝手が悪いようにみえる所もあるが、時代から取り残されたような素朴さが、また良さでもあると思う。

2008年2月29日金曜日

画材を選ぶ・・・ペンとインク、水彩でウォッシュ

              「トレビの泉の前で」(イタリア)      図3

私は、ペンとインクを使ってスケッチしたあと、水彩で色をおいて仕上げるという方法が気に入っています。そういう描き方で絵を描くとき、こだわっているのが、ペンと水彩紙の種類や規格です。

ペンの方は、以前、パイロット・ドローイングペン(油性)や、サクラ・ピグマグラフィック(水性)、ステッドラー・ピグメントライナー(油性)等の0.1~0.3ぐらいの細めのものを使っていました。水性のペンでも、乾いてから水彩絵の具を使えば滲んだりするようなことはありません。上の図3「トレビの泉の前で」は、2004年にイタリアのローマで鉛筆スケッチしたものを元に、ペンで描きなおしたものです。これは、鉛筆の下書きなしで、極細のペンを使って描いたあと、水彩で色をつけました。紙はキャンソンファインフェースを使用しました。

               「グランプラス」(ベルギー)       図4

図4は、細めのサインペンを使って、少し早描きしたスケッチに水彩を施したものです。こちらの方は、やや早描きしている分だけ、少し動的な雰囲気が表れているでしょうか。2005年に描いています。サインペンでしたので、紙は厚手のものを使っています。

このころから、いろいろな種類のペンを試しているうちに、「葦ペン」にもめぐり合い、それで描いた時期もあったのですが、戸外で使う便利さを考えて、万年筆タイプのペンを使うようになりました。プラチナ万年筆から出ているもので、黒のカーボンインク(カートリッジ)を使えるものがあったので、細描き用と太描き用の2本を携帯して使い分けていました。 “遠近感を線の太さで表現したい”と考えるようになったからです。

その後、セイラー万年筆長刀(なぎなた)研ぎコンコルドエンペラーというペンがあることを知りました。一本で、極細と極太の線が描ける万年筆で、耐水性のインクを入れて、スケッチの線描に使っています。

気に入った画材を見つける私の旅は、その後も続き、現在は、パイロット・レタリングペン(油性)2.0というペンを良く使います。このペンは、そのペン先に特徴があり、形が油性マジック(太字)の先に似ていて、円筒形でなくノミのような平たい形状をしています。このペンを使って、中目から荒目の紙にスケッチすると、「かすれる線」と「勢いのある太い線」が描けます。この線の太さの微妙な違いやかすれが、雰囲気のある線描を助けてくれるようになりました。使い慣れることが必要ですが、試してみる価値はあるように思います。

水彩紙の方ですが、ペンで描いたときにあまり引っ掛からない紙質のものがいいと思います。私のお勧めは、ケント紙です。できれば、四方を糊付けしたブロックのスケッチブックを使うと、水彩で紙が濡れても反り返らないので彩色がやりやすいのです。残念ながら、ブロックタイプのケント紙は手に入らないようです。時間と手間がかかりますが、水張りして使うのがいいですね。あと、ケント紙のように表面がキメ細やかな紙は、ウォッシュした絵の具が流れ、色と色が微妙に混じりあうところが、おもしろい効果を生みます。最後に、その例をお見せします。

横浜の金沢区、金沢八景にある小さな湾の風景です。小雨が降る中で、スケッチし彩色したものです。

BBケント紙を使用しました。

           「野島夕照・1」(横浜)              図5


             「野島夕照・2」(横浜)         図6

ペンの使い方としては、遠景は、やっくり軽やかタッチでペンを走らせ、前景ほど早く鋭いタッチで、ペンを使うといいかと思います。 

2008年2月25日月曜日

水彩紙のこと・・・カートリッジペーパー


         習作   遠くの木立(ダーマトによるスケッチ) 図2
 

いろいろな画材の中から自分の気に入ったものを探すのも、絵を描く楽しみの一つだと思う。

水彩紙の種類にもいろいろなものがあるが、目下の私の“お気に入り”は、「カートリッジペーパー」という紙だ。イギリスの画材メーカー“デイラー・ラウニー社”の製品で、日本ではクサカベというメーカーで扱っている商品だが、これが近々廃版になるという。無いものねだりで、最近、この紙を注文して手に入れた。

水彩紙の中でも、廃版になったものが他にもあると聞くが、私が知っているものでは、同じイギリス製の紙で、BBケント紙がある。ホルベインというメーカーから出ていた「BB KENT BLOCK」という商品もすでに発売中止になっている。これは、四隅を糊付けしたブロックタイプのもので、水張りしないで使えるので重宝していたのが、とても残念なことに、今ではネットショップでも手に入らないようだ。

替わりに、オリオンというメーカーから、「ボタニカルアート用BBケントブロック」というのが出ているが、こちらは同じブロックと名前は付くが、一辺だけ糊付けしたパッドタイプのスケッチブックだ。ただし、175gと紙厚は以前のものと同じ仕様になっている。サイズもB5,A4,F4とある。ケント紙も鉛筆スケッチや水彩に使ってみると、他の水彩紙とは違う使い心地がして楽しめる。

話を「カートリッジペーパー」にもどそう。わたしが何故この紙にこだわっているかと言うと、このところほとんどのスケッチに使っている「ダーマトグラフ」(三菱鉛筆から出ている油性鉛筆)との相性がとても良さそうだという理由からだ。もちろんどんな紙にも描く事はできるが、他の紙では出せないダーマトグラフ独特の発色や輝き、線の強弱、濃淡などがカートリッジペーパーでは表現できるように思う。ただし、紙色がやや薄い褐色系で、ホワイトワトソン紙などと比べると「紙の白地」を生かす上で、効果はどうかと思う。そんなに違いはないだろう。ただ、全体として落ち着いた感じの絵に仕上がるように思う。これから、しばらくは、この紙を試してみようと思っている。
サイズはA2だけで、「パッドタイプ」(130g)と「スパイラルタイプ」(150g)の2種類ある。わたしは、それをA4サイズか、その半分のサイズに切って使っている。手ごろなサイズのスケッチブックが手に入らないので仕方が無い。
図2は、アルウィン・クローショーの『楽しい油絵教室』の62ページにある「遠くの木立」という油彩画を見てダーマトでスケッチしたもの。

2008年2月24日日曜日

写真をもとに絵を描く・・・肉眼で捉えた印象との「違い」

                  ボマルツォのスナップ   写真1


                  ボマルツォ(イタリア)  図1 

写真をもとに絵を描くということがあります。旅行して、絵にしたいモチーフが見つかったのはいいが、その場でじっくりスケッチしたり製作する余裕が無い時など、一つの資料として写真を活用することはとても便利です。また、スケッチ旅行をする余裕はないが、気に入った風景を絵に描きたいといったこともあります。後者の場合は、手に入れた写真から絵を描き起こす作業になります。
そうした場合に、「自分の肉眼で見た実景」と、「写真に撮った画像」とは、かなりの違いがあることを知っておくことが大事です。
上の図1は、私が去年(2007年10月)イタリアのボマルツォという町に滞在して現地でスケッチしたものに、後で彩色して仕上げた水彩画です。写真1は、そのスケッチを描き終えてからその場で撮った写真です。中央の赤茶の屋根をした塔のような建物を中心に、細長く丘の上まで続く町並みを描きたいと思ってスケッチを始めました。足場は、柵の無い岩の上で、転げ落ちたらひとたまりも無い場所でした。建物群と右手に見える森や草地の両方を描こうと欲張りすぎているところがあります。町並みを中央にして森の部分を少なくした方が良かったのかもしれません。

絵の良し悪しは別にして、私の肉眼には、中景の部分が写真と比べて大きく捉えられているのが、分かるでしょうか。私たちの眼は、「見たいと思うものを実景よりも大きく拡大してみる働きがある」ということに合点がいったのは、つい最近のことです。

イギリスの画家、アルウィン・クローショーの技法書を読んでいて、そのことが描かれている箇所をみつけました。以下、その部分を引用してみると・・・『アルウィンの楽しい水彩教室』1997年、P108

(前略)写真には独自の役割・特色がありますが、一方、中景から遠景を“平板化”して、小さく、つまらなく見せてしまう点に注意しなければなりません。写真と同じ景色を肉眼で見ると、私たちの眼は無意識に中景を拡大して、そこだけを周りと切り離して見ます。つまり、中景だけが視野いっぱいに広がるのです。ですから、写真を撮るときは、このことを心にとめておきましょう。いちばんいいのは、その風景を鉛筆でスケッチしてから写真を撮ることです。そうすると、肉眼で感じた印象とカメラがとらえたものとの違いがわかります。そして、その経験と知識が、のちの役に立つのです。

(中略)そして、写真が中景をどれくらい小さくしているか、にご注目を。望遠レンズを使っても、遠景の写真は平板化して、肉眼で見たときのようなインパクトがありません。肉眼は雑多な風景の中から自分が見たいと思う特定なものだけを見ることができますし、こう見えるといいという思いどおりに見ることができますが、カメラはそこにあるものを再現するだけです。

私は、今まで、このこと=“私たちの眼は無意識に中景を拡大して、そこだけを周りと切り離して見る”“肉眼は雑多な風景の中から自分が見たいと思う特定のものだけを見ることができる”ということを、絵を描くときに自覚していませんでした。ただ、描きたいと心を動かされた景色も、写真に撮って後で見て見ると、意外とつまらないということは、よくありました。

肉眼で見たものの印象が写真のそれと違うのは、私たちの眼の働きだけではないようにも思います。アルウィンも同じ本の中で書いている様に、その時の天候や時刻、寒暖、人気の無い所か雑踏の中かなど、野外でスケッチする時の条件が大きく影響する点もあるでしょう。何よりも写真ではそうした臨場感を再現するのが難しいでしょう。

野外での風景をスケッチする時に、この眼の働きと写真との関係を“意識的に使っていこう”と、今、考えています。                  

2008年2月20日水曜日

絵画技法アラカルト・・・・誕生のお話・・・・


「絵画技法アラカルト」というタイトルで、新しいブログを立ち上げました。
20年ほど前から水彩画を「描いてきた」のですが、自分なりに学んできたことや、今かんがえていること、これからやろうとしていること等、絵画のジャンルにとらわれずに、思いつくままに「書いてみたい」と思っているからです。
自分のために「メモ」するような気分で、かなり思いつくままに書こうと思います。ですから、話題は、あちこちに飛んでしまって、まとまりのないものになりそうです。その時の興味・関心のあることに焦点をあてて、自分のために書き残しておくというものですから。今、これをご覧になってくださっている方の参考になるか全くわかりません。
そういうわけで、「これは何を書いているか、読んでみよう」という所だけ、ご覧になってください。
「アラカルト」とした訳は、“自分で自由に選んだ話題”というような意味合いです。
                                               本日は、ご挨拶まで。

2008.2.17.  P6 ダーマトグラフ  透明水彩  「冬の雑木林」