2008年9月5日金曜日

裸婦クロッキー・・・「とにかく線が命!」

                              図18


上野の森アートスクールの「クロッキー特別講座」に今回、はじめて参加した。講師は、画家の古山浩一さんで、3日間の講座で、計150枚のクロッキーを描くという特訓講座だ。

一日目は、鉛筆(私はコンテ鉛筆を使用)で、5分間クロッキーを午前午後の4時間、最終では、2分間のクロッキーも入り、50枚ほど描くことになった。もちろん、休憩を挟んでのことだが、集中して線を引くことを繰り返していく中で、画材の使い方、鉛筆の持ち方や力の入れ方、線の引き方などを習得していく内容だった。
古山先生は、「形を捕らえることよりも、生きた線を引くことが大事!」と、繰り返し強調されていた。どうしても、バランスや形の大小など気になってしまうところだが、先生のお話では、「形やバランスは、数多く描いていくうちに、後からついてくる」と言うことのようだ。20名弱の参加者が集まっていたが、皆、黙々と手を動かしていく。気がつくと、あっというまに5分経っていることが多く、手足や体の細部は、殆ど描けない状態だ。

「引いた線が一様にならないようにすること、その為に、体の各部の筋肉や骨にそって、線の違いを見ていくことが大事だ」という指摘を何度も受けた。また、体の前面と背面とでは、引く線に違いが出てくるように、ピシッと「決める線」とさらりと「受ける線」の違いを意識しながら描いていくということも繰り返し話をされていたように思う。

私の描いたものは、まだ、講師の先生に指摘されたような線は描けていないが、繰り返し手を動かしたうちで、自分なりに気に入った線が引けたかなと思う。

クロッキーは、とにかく、線が命!」・・・講師の先生の言葉を反復しながら、刺激的な時間が過ごせた一日だったように思う。

2008年6月12日木曜日

風間完の絵について

                     企画展パンフレットより(図17)

風間完の名前を初めて知ったのは、確か、安野光雅の『絵のまよい道』(朝日新聞社 1998年)を読んでいたときだ。安野が「作風が大好きだ」という、この画家のことが知りたくて、いろいろ探してみたのが今から5、6年前のこと。
挿絵画家として活躍していた画家の風景画に興味をもって著作や画文集など集めた。美人画もとても魅力的だが、なぜか風間完の描く「町並み」や「港や川のある風景」に魅かれてしまう。鳥の視点に立って俯瞰するような、広がりのある風景画を眺めていると、なにか自分までもその一部になったように感じてしまう。
その風間完の挿絵原画展が、信州の上田でやっているというので6月8日の日曜日に出かけてみた。風景をモチーフにしたのは数点しかなかったが、それでも原画でみる筆致は実に美しく、その絵にどんな技法が込められているのかと引き込まれるような迫力があった。髪の毛の間から地肌が白く透けて見えるようなその輝き、背景の山や林を鉛筆やコンテのぼかしで表現している奥行きのある画面、はっとするような切れ味の良いコンテの漆黒の線、など、原画でなくては味わえないようなものを目の当たりにできた。
この企画をした「池波正太郎真田太平記館」も近くにあるので、そこにも立ち寄ってみた。風間完が挿絵を描いていた関係で、親交のあった二人のようだが、ここでは挿絵原画が蔵作りのギャラリーに常設展示されている。
風間完の『エンピツ画のかすすめ』の「才能について」という一説に、次のようなところがある。
「(どんな人にも)・・・他人に無い自分だけの眼、他人には見えないが自分だけには見える、というものを何かしら持っているものなのです。絵の才能とは、つまりそれのことだと私は思うのです。・・・大切なことは、それを画面に少しずつでも定着させていくときこそ、その才能は発揮されたということができます。絵を描く人は無口でよいのです。作品をつくることが一つの表現、つまり言葉なのですから。・・・喋るより、どれだけ描けたかということしかありません。そしてたとえほんの僅かしか仕事が進まないにしても、その量で差別されることは、この世界にはないのです。」
長くなってしまったが、「絵の素材、モティーフのすべてのものに先ず友情(愛情)をもって」わたしも、「こつこつと自分の道を歩いて」いきたいものだと、思います。  
 
  風間完さし絵原画展  平成20年5月29日~6月29日 
  長野県上田市・旧石井鶴三美術館  午前10時~午後4時(水曜日休館)
  主催・問い合わせ先/ 池波正太郎真田太平記館tel 0268-28-7100

2008年5月25日日曜日

風合いのある紙肌を生かす・・キャンバスペーパー

                    図15

ミューズから「ニュー・キャンバスペーパー」というブロックタイプのスケッチブックが出ています。私が使っているのはF4サイズの大きさで、四方を糊着けしてあるので「水張り」することもなく気持ちよく使えます。紙の表面はエンボス加工してあり、キャンバス地のような肌触りになっています。アクリルやコンテ、パステルなどの用途に向いているようですが、私の場合これを水彩画に利用しています。

ダーマトグラフで描いた線にも変化があり、表面の紙肌の模様が絵の具と微妙に溶け合って、風合いのある仕上がりになるように感じています。「重ね塗り」や「滲み」「ドライブラシ」などの技法にも合ってるが、やはり「風合いのある紙肌を生かせる」というのが一番良いところではないかと思います。

毛の短い動物の肌や骨格、筋肉の動きなど表現するのに適しており、最近よく試みている画材の一つです。



            ラッテンベルグの町並み(2007.8) 図16

2008年5月24日土曜日

ガッシュを使う・・・水筆で色を抜く

                           図13

久しぶりにガッシュを使ってみた。ケント紙の極厚口(中性紙・180k・B5)というのがホルベインから出ている。これにダーマトグラフ(黒)で薄く下書きし、その上からガッシュの茶系の絵の具をたっぷりの水で溶いたものを塗り、それが乾かないうちに濃い目の茶色系を滲ませていく。使った絵の具は、ローアンバー、バーントシェンナ、ウルトラマリンディープの3色(holbein artists' gouache)だけ。


滲ませた絵の具がほとんど乾いてから、水をふくませた筆で色を抜き取っていく。胴体の部分は体のふくらみにそって筆を動かし、白くぬいたところが骨格や筋肉の動きを表すようにしてみた。脚の脛やひずめの部分なども絵の具を抜いて、毛並みの明るさや爪の硬さなど表現できるよう思う。


他の水彩紙(アルシュ、キャンバスペーパー、キャンソンファインフェースなど)でも同様に試してみたが、「色を抜く」という点では、紙肌の滑らかなケント紙が一番相性が良いようだ。あまり紙厚の薄いものでは、絵の具を擦り取る作業には不向きで、表面が毛羽立ってきてしまう。この点、ケント紙(極厚口)は、それに向いているようで、紙の繊維に染み付いた色を抜き取るのもやりやすい。



                              図14

2008年4月18日金曜日

好きな絵を模写する


    クロワ=ド=ヴィ(ポール・シニャック)1929年 水彩 鉛筆 図9


               クロワ=ド=ヴィ(模写)  ペン 水彩 図10


  イル=オー=モワンヌ(ポール・シニャック)1929年 水彩 鉛筆 図11



             イル=オー=モワンヌ(模写) ペン 水彩 図12
好きな画家の絵を模写して、その手法を探求し何らかの成果を手にすることができたら、こんなに楽しくて有意義なことはない。模写するのなら、形から色彩の細部まで徹底して本物に近づく努力をするほど、その成果も大きいといわれる。
ポール・シニャックは、1863年に生まれ、1935年72才で亡くなっている。スーラと共に「点描画法」の油彩画家として知られているが、彼の水彩画は油彩の作品ほど広く理解されていないのではないかと思う。私が、シニャックの水彩画を初めて見たのは、交友のあったゴッホの素描展の図録『ゴッホとその時代 ゴッホ素描展2000年』で、「芸術橋の風景」(1928年)という絵をみつけたのが最初だった。
それ以来、何かとても気になる画家の一人だったが、今から6年前の2002年、山梨県立美術館でシニャックの水彩画展『海に吹く東風 水彩に見る新印象派』を見る機会があった。ほとんどの作品が7~80年前の作品で゛、中には100年もたっているものもあったが、その色彩と線描の強烈な印象が今でも忘れられない。
その年の夏にかけて、シニャックの模写を20枚ほどしながら、「重ね塗りを拒絶し並列したタッチで描く」「滑らかな肌合いの紙を使用し余白を残すことで紙の白さを見せる」「色価はパレットから紙面へと直接的に移されるべきもの」という彼の画法を探求することに挑戦してみた。図9~図12までが、その一部であるが、彼の水彩画法の詳細は、まだ、分からないというのが正直なところだ。
シニャックは、彼の水彩画の仕事を通じて、三人の画家を賞賛している。(ターナー、ヨンキント、セザンヌ) そのうちの一人、セザンヌの影響を受けていると思われる3つの作品『静物』に表現されている色彩や線描の美しさは、セザンヌとはまた違う彼独自の魅力を今に伝えているように思う。



2008年3月20日木曜日

葦ペンのこと

                  南の島 八重山      図7

             ブルージュの町並み              図8   

葦ペンを使う時は、鉛筆であたりを取ったり下描きをした線を上からなぞるような事はしないで、インク(私は耐水性のインクを使用)をつけて、そのまま直に描くようにしている。下書きの線にとらわれてしまうと、折角のペン描きの勢いが削がれてしまうように思う。遠景の部分から描き始めて、画面の左から右へ展開しながら進めていく。インクが乾いていない上から手を置いたりすると汚れるので、別の紙を上からあてがって描くという注意も必要だ。


葦ペンは、力の加減がダイレクトに紙面に伝わり、万年筆やサインペンのように同じ太さの線を描くのは容易ではない。微妙な力の入れ具合が線の太さに敏感に表れていく。力の入れ具合を間違うと、インク溜まりが出来て、その部分だけ目立ってしまう。また、仕上がったと思った紙のうえにインクが落ちたりして滲みになってしまうこともある。扱いが難しい分だけコントロールが必要だが、紙の上に引かれた線には特別な味わいがあり、それが葦ペンの魅力でもある。


私の場合は、太さの違う葦ペンを2~3本用意しておいて、遠景から中景にかけては、極細のペン先のものを使い、細くて軽い線で描き表わし、近景にかけては太目のペン先のものに持ち替えて、太く重い線で描くように心がけている。線の強弱、淡濃で遠近を表現したいと思うからだ。
葦ペンで描くのに相性の良い紙は、表面の滑らかなものが良いと思う。ペン先が紙面に引っ掛からないものが描きやすいので、私の場合はもっぱらケント紙を使っている。細目の水彩紙でも良いだろう。
葦ペンだけでなく、ほかのペンを使う場合でも同じことが言えると思うが、線描はできるだけ控えめにして、必要なところに入れるようにしたい。空や海、木々の枝葉などの細部は、筆による彩色に任せることが肝心だと思う。ただ、言うは安しで、得てして描きすぎてしまうことが多いように思う。私の場合も、全くその通りで、頭では分かっていてもいざ描き始めると、細かいところを描きすぎて、気がついたら色をつけなくても良さそうなときが沢山ある。
理想的なことだが、筆だけで描きあらわして、必要なところに後から少しペンで線を入れる程度に仕上げられたら、水彩の色合いとペンの線が気持ちよく響きあって一体感を表現できるように思う。残念ながら、それは今のところ「絵に描いた餅」というところだ。精進、精進。
葦ペンは、出来上がったものをインターネットでも買い求めることが出来るが、私の場合は、素材の葦を手に入れて手作りで製作している。その方が、自分の好みに応じた葦ペンが使えると思うからだ。葦ペンというのは、何か旧式な画材で不便だったり使い勝手が悪いようにみえる所もあるが、時代から取り残されたような素朴さが、また良さでもあると思う。